もし本当にそうなってたら?
先日、吉田昌郎福島第1原発所長のインタビューがマスコミ各社に掲載されました。当時の緊迫した状況が生々しく語られています。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111113k0000m040052000c.html
--これまで一番厳しかった状況は。
◆やはり3月11日からの1週間。次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」と思ったことが数度あった。
中略
--「死ぬかと思った」時とは。
◆1号機の爆発があった時、どういう状況かが本部では分からなかった。現場からけがをした人が帰ってくる中、格納容器が爆発していれば、大量の放射能が出てコントロール不能になる(と思った)。3号機も爆発し、2号機の原子炉にもなかなか注水できず、先が見えない。最悪の場合、メルトダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わりかな」と感じた。
後略
自らの死を覚悟しながら懸命に戦っていたんだと思います。日本を救ったことを感謝します。
でも... 一方で... ?
美談としてサラッと流しちゃっていいの? かなりヤバくない!!!
現場の責任者が「もう死ぬだろう」と思ったってことは、本当に危機的な状況です。もし、本当に死んでたらどうなってたんだろう?
「最悪の場合、メルトダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で『これで終わりかな』と感じた」と正直に打ち明けてます。もし、格納容器 が爆発してたら、放射線レベルが上がりすぎて現場での作業が不可能になってました。そうなると注水作業もストップ。メルトダウンしていく状況を見守るしか
ないのです。溶けた燃料の温度は2,800℃以上。鉄の融点は1,500℃でしかないから、簡単に溶かしていきます。そして、地下水などの水源にぶつかっ たら、急激に膨張して水蒸気爆発。そうなると、あたりは致死量の汚染地帯に。さらに他の炉も同じように水蒸気爆発を起こしてたのかも。
そんなことは、恐ろしくて想像したくもないです。そうなったら、日本はもう存在できなかったでしょう。ただし、忘れていけないことは現実にその一歩手前まできていたということです。
彼らが「もう死ぬだろう」ってことは、私たちも「もう死ぬだろう」ってことと同じです。あえて違いをあげれば、私たちの死ぬ時期が、汚染レベルによって数日から数年遅いだけです。
しかし、振り返ってみるとその時期に「もう死ぬだろう」「これで終わりかな」と思った人が、どれだけいるでしょうか? 3月半ば、日本政府による福島第一原 発の事故評価は、スリーマイル島原発事故と同じレベル5。レベル7のチェルノブイリ原発事故とは全くレベルが違うと説明されてました。でも、実際には、そ れよりも数倍大きな事故に発展する危険性があったのです。
だから、今頃そんなこといわれてもねぇ... なんで、その時にいってくれなかったの! もしかしたら、みんな一緒に死んでたかもしれないのに!!
それでも、現場にいた人たちは、日本中にその事実をいいたかったと信じたいです。でも、東電と政府が必死に隠したってね。
少なくとも東電と政府が状況を知らなかったってことはあり得ないです。政府はヤバイ情報は隠して、日本国民を見殺しにしようとしたといっていいでしょう。ということは、いざというときには、政府の情報を信用せず、自分の身は自分で守らないといけないのかな。
当時、西日本に避難した人たちは、臆病者扱いでした。また、マスクやゴーグルをしてたら、「なにビビってんの」ってバカにされたりも。しかし、今では、3 月15日の風と21日の雨によって、大量の放射性物質が降り注ぎ、たくさんのホットスポットができたことが分かってます。結局、その時に避難したり防護措 置をしてた人の方が正しかったのです。
とはいっても、その当時、地震と津波の被害で身動きできない人が、たくさんいました。危険だ分かってても何もできなかったはずです。今後も地震による原発事故、「原発震災」の発生が心配され、同様な場面が予想されます。
だから、日本列島に人間、そしてあらゆる生物が生きていくためには、すべての原発をすぐに止めないといけないでしょう。そのために、みんなで知恵を出し合いましょう。もし、それが間に合わなくて次の事故が起きてしまったら... 政府の発表を信じずに避難または防護するしかないですね。
だって、いざというときに日本政府が私たちのことを守らないのは、「想定外」ではなく、「実証済」だから。